夏の高原を軽快な足取りで男が歩いている。
右手に持った透明な業務用ビニール袋には何も入っていない。
紺色の作業着に軍手、深々と被った帽子から察するにゴミでも集めようとしているのか
周囲を見回しては帽子の鍔に隠れた瞳を光らせている。
そんな男の前に颯爽と、丸みを帯びた球体がぼよよんと珍妙な音と共に現れる。まりさだ。
「ゆゆっ、にんげんさんっ!ここはまりさたちのもりなのぜっ!にんげんさんはゆっくりしないで、でていっ――
ゆんやー!!まりさのおぼうしさんをかえすのぜっ!!ま、まってねっ!!いかないでね!!」
ヒョイッと軽々しくまりさの帽子を抜き取った男、そのままビニール袋に押し込んだ。
透明なビニール袋の底にまりさの黒い帽子が拉げて落ちる。
持ち主の顔も同じに、まりさがわんわんと泣きながら大切なお帽子を取り返そうと男の周りを跳ね回る。
男はまりさの存在をまるで無視するかのように、視線を上げると、
その先でソフトボールサイズの子ゆっくりに向けお歌と称した騒音を垂れ流しているれいむを見つけた。
「ゆんゆんゆゆーん♪さぁおちびちゃん、れいむといっしょにうたってね!おうたをおぼえればゆっくりできるよ!」
「ゆっへん、れいみゅのおうたはおかーしゃんよりうまいんだよ!れいみゅのびせいをきいちぇないてよろこんでにぇ!!」
「ゆふふ、おちびちゃんのおうたもゆっくち、ゆっ!?にんげんさんっ?
れいむはいまおちびちゃんにたいっせつっなおうたをおしえてるさいちゅうなんだよ!
にんげんさんはおじゃまむしだからあっちにいってね!ゆっくりしなくていいよ!!」
「ゆー?にんげんしゃんはれいみゅのおうたをききにきたんだにぇ?ゆっへん、れいみゅのおうたをききたかったらあみゃあみゃを――」
しかめっ面をして怪訝な表情を作ったれいむにあまあまを要求してニヤついている子れいむ、
それらを無視し野太い右腕を伸ばして紐を解く形で、れいむ親子のリボンをスルッと抜き取る男。
「ゆっ!!な、なにじでるのぉおおおっ!?れいぶのおりぼんざんをかえじでねっ!!
おりぼんざんがなくなっじゃたらかなじくなるでしょぉおお!!!ゆわぁああ、まってよぉお、もっでがないでぇええ!!」
「れいみゅのしゅてきなおりぼんしゃんがぁああっ!!くちょじじぃ!!れいみゅのおりぼんしゃんをかえじぇぇえええ!!!」
まりさ、れいむ、子れいむの3匹が男の背中を泣き叫びながら追っている。
まるで新聞紙を丸めて再び広げた様な、無様に引き攣った泣き顔を貼り付け随分と粗末な姿をしている。
暫く進んで行けば、茂みの影に隠れて木の実を採取しているちぇんとぱちゅりーに男は出くわした。
「むっきゅん、このきのみさんはちぇんのおちびちゃんでもたべられるわね!あるだけもっていきましょう」
「わかるよー!きのみさんはごちそうなんだねー!」
ガサガサと茂みを揺らして2匹の前に立った男、長身の人間の姿にぱちゅりーが飛び上がる。
「に、にんげんさんっ!?む、むきゅー!!ここはぱちゅりーたちのゆっくりぷれいすよ!
にんげんさんがきていいばしょじゃないわ!ゆっくりしないででていってね!!」
「わ、わかるよー。にんげんさんはまねかれざるおきゃくさまなんだねー!」
ビニール袋の蓋を開けながらササッと素早い手付きぱちゅりーとちぇんのお帽子を男は奪い去る。
帽子にリボンと徐々に膨らんでいくビニール袋。
「むっぎゅぅうううっ!!な、なんでぱちゅりーのおぼうじざんをとっじゃうのぉおおおぉっ!?
おぼうじざんはだいっぜつっなのよぉおおおっ!!いじわるじないでかえじなざいっ!!!」
「ちぇんのおぼうしさんがぁぁぁっ!!わ、わからないよー!!りかいできないよー!!ちぇんにかえしてねー!!」
立ち上がると更に高原の奥地に向け歩みを進める男、その背後に5匹のゆっくりが「お飾りを返せ!」と喚いて追い縋る。
更に男は狩りの最中だったまりさや外で遊んでいた子れいむ、雑草を口で縛って家具を作っていたありす等、
様々なゆっくりから頭の上に乗っけていたお飾りを回収すると、袋に詰め込んでいった。
事務的に一連の作業をこなしていた男は、ふと口を開くと喉の調子を確認しながら小さく声を捻り出した。
「引っこ抜かれてー貴方だけに、ついてゆくー♪」
やや音程を外しながらも実に愉快そうに歌い始める。
気付けばビニール袋はパンパンに膨れ上がっていて、鮮やかな色を付けた一つの塊に成り代わっていた。
まるでサンタクロースの様に肩に引っ掛けて男は前を進む、その歩幅はやや緩くゆっくりに合わせているのが伺えた。
「今日もーお飾り、奪われ、追走、そしてー落とーされるぅー♪」
お世辞にも上手くないそれを上機嫌に歌っていた男が振り返る、
丁度広い開けた平地に差し掛かった為、後方の遥か遠くまではっきりと視界に捉えられた。
「「「「でいぶのせかいでいぢばんのおりぼんざんっ、がえじでよぉおおおっ!!!どおじでいじわるずるのぉおおおっ!?」」」」
「「「「ゆっぐりじないでかえずのぜっ!?いいかげんにじないどまりざおごるのぜぇええっ!!!ゆえぇえんっ、どうじでおいづげないのぉお」」」」
「「「「ありずのどがいはなかじゅーしゃざんっ、どうじでもっでいっじゃうのぉおおおっ!?ぞれがないどいながものになっじゃうでしょぉおお」」」」
「「「「わがらないよぉおおおおぉっ!!ぢぇんのおぼうじさんはとってもだいぜつなんだよぉおおお!!わがれよぉおおおお!!!!」」」」
「「「「む、むっぎゅぅう……ゆへっ……か、かえじでっ……ぱ、ぱっじゅり……の、お、おぼ、おぼうじ……ゆへっ、もうだめ……」」」」
総勢100匹近い、大小様々なゆっくりたちが男に奪われたお飾りを取り返そうと必死になって付いてきていた。
この一帯を縄張りにした群れの半数以上のゆっくりが頬を歪め、砂糖水の涙を盛大に噴出しながらぴょんぴょんと跳ねている。
まるでその姿はゆっくりが波を打っているみたいで、男はヒューッと軽く口笛を吹くと視線を戻して前を向き直す。
広場の出口付近に来れば、枝を口に咥え険しい剣幕を浮かべたゆっくりみょんが仁王立ちしていた。
「むれのみんなのおかざりさんをどうするきだみょんっ!?おとなしくおかざりさんをかえさなければいたいめをみるみょん!
いくらにんげんさんでもみょんのたちすじはかわせないみょん、はくろーけんのさびにしてあげるみょん!!」
長々と台詞を吐いているみょんの横を通る合間に男がみょんの黒いリボンを鮮やかな手捌きで抜き取る。
「ち、ちーんぽっ!!!み、みょんのおりぼんっ、か、かえすみょん!!!」
こうしてみょんも100匹の中に加わった。
暫く行くと、ゆっくりの一団を引き連れた男が高原の奥深くにある吊り橋に足を踏み入れた。
吊り橋の奥は鬱葱と木々が生い茂っており、高原とその先の森の境目として橋が掛かっていた。
随分と古い木作りのそれは、等間隔に棒を設置し向かいの先までロープを通し手摺りを作った簡素な物だった。
更に足場横の付近はロープが行き届いておらず吹き曝しの状態で、大きく開いた隙間が垣間見えている。
男はふと視線を下に移した、傾斜の強い岩肌がはっきりと映っており僅かに流れている川の水面がキラキラと輝いていた。
台風なんかが来ると氾濫し下流の街に被害が出た為、昭和の中頃ここよりも更に高い上流にダムを建設した経緯を男は思い返す。
今ではすっかりやせ細り小さくなった川と、かつて川の底にあったであろう白い岩の塊をぼんやりと眺めていると、
遅れてやってきた高原のゆっくりたちが我先に吊り橋を目差して駆け込んできた。
総勢100匹のゆっくりが、お飾りを目差して差し迫る。
しかし吊り橋の入り口は大勢のゆっくりを受け入れるほど寛容ではない、
でいぶの尻に突き飛ばされたまりさが「ゆわぁぁぁー」と断末魔を残して落下すると、ベチャッと醜い音を立て黒い模様を下界に晒した。
同様にちぇんに押し出されたぱちゅりーが、ありすに押し倒されたれいむが、あんよを滑らせた子まりさが、
次々と吊り橋の隙間からダイブしては、中身を派手にぶちまけて行く。
吊り橋がゆっくりの大群に反発するかのように僅かな揺れを催し始めた頃、男はビニール袋を掲げて迫るゆっくりたちに見せしめた。
「ゆわぁあああっ、かえじでっ!!それはでいぶのだいっぜつっなおりぼんざんなんだよぉおおおおっ!!!」
れいむの必死の懇願を無視して男はお飾りを掴み取ると吊り橋の下に向かって――放り投げた。
まりさの帽子がふわふわと、れいむのリボンがひらひらと、ちぇんの帽子がくるくると、みょんのリボンがゆらゆらと、
まるで神事に際して集まった人々に振舞う餅投げの如く、男は掴んでは投げ続けた。
それに続いたのはまりさだ、吊り橋の隙間から顔を出すと落下していく帽子に向かって飛び立った。
「まりさのおぼうしさんっ!!いまたすけるのぜっ!!!まりさおそらをとんでるみたいぃぃいいっ――」
「れいぶのおりぼんざんっ!!まっでぇえええっ!!でいぶすかいだいびんぐしてるみたいぃいいっ――」
後に続いて高原のゆっくりたちが身を乗り出し落ちていく。
グチャ、ムチャ、ブッチャーッ、グッチョッ、摩訶不思議な擬音を奏でたゆっくりの演奏会はせいぜい4、5分だっただろうか。
完全な静寂に包まれたところで男は改めて下を覗くと、てんこ盛りになったゆっくりの死骸が川辺に積まれていた。
よくよく眼を凝らせば痙攣しているのもいるし、蹲ったまま揉み上げを上下させているのもいる、
お尻をぱっくりと割って尚、岩に引っかかった帽子を回収しようと餡子を漏らしつつ這っている個体まで居た。
しかし無傷なゆっくりはいないようだ、男は一仕事終えて肩を解すと内ポケットに閉まっておいた煙草を取り出した。
「いやまぁしかし、奴ら本当に頭が足りないんだなぁ……」
ライターで煙草に火を灯しながら男が呟く。
彼は、この高原を管理する会社の社員だった。
落葉広葉樹が一帯に広がっている高原は、秋頃になると多くの観光客を呼び寄せる絶景の紅葉スポットとなる。
それらを管理運営し、木々がしっかりと紅葉色に着色され、落葉の絨毯を形作る為の環境を整えるのが男の仕事なのだが、
彼が何故ゆっくりたちのお飾りを奪い、意図的に投身自殺を図らせたのかを説明するには前年度まで遡らなければならない。
去年の秋に大量発生したゆっくりによって、当時の高原は不幸にも多くのゆ害が発生してしまっていた。
観光地だった紅葉の景色はゆっくりの死骸、排泄物、食べ粕、騒音、観光客に対する挑発、等により汚された結果、
市議会でも問題視され取り沙汰される程の事態へと発展、追い討ちを掛ける様に噂を聞きつけ面白がったメディアが押し掛け、
ゆっくりが派手に暴れまわる姿をお茶の間に放送してしまった事もあり。
現在に於けるこの高原の価値は著しく低下し、専門雑誌のレビュー等で残念な事に軒並み低評価を獲得してしまった。
今年度の観光客も恐らく前年度の2割減と負の観測がなされている中、
遅蒔きながら対策を打ち立てるべく加工所の協力の下ある計画が立案された。
「……随分数が増えてきたな」
男は野太いロープの手摺りに肘を置きながら、ふと下界の木や岩の陰に隠れているあるモノに視線を移した。
そこには日差しを避けて眠りこけていた大勢のれみりゃとふらん、胴付きから胴無し果ては気だるそうにしているふらん種までもが居た。
加工所が打ち立てた計画とは『捕食種補完計画』と呼ぶ、どこか名前に既視感を覚える捕食種の増殖を図ったプロジェクトだった。
自然界に住む野生のゆっくりは例外なくとてつもない繁殖力を持っている。
豊富な資源、環境がゆっくりに恵みを与えた結果なのだが、それらのゆっくりを人間の手で根絶やしにするのが非常に難しいとされる。
仮に莫大な資金を捻出し一斉駆除を成功させたとしても、もし別所からやってきたゆっくりが
新たに種付けすればあっという間に数を増やしてしまう為、中々対策を立てられないのが現状なのだ。
そこで白羽の矢が立ったのが通常種ハンターの捕食種たちである。
れみりゃとふらん種は夜行性であり人間の目に付きにくいこと、通常種よりも遥かに強い体躯で他の外敵に対処する力があること、
これらの点が評価され、人間に対して通常種よりは遥かに友好的、無駄に死骸を出さず、お歌と称して雑音を垂れ流す事も無い、
景観を害する要因が通常種より遥かに少ない事柄を上げ、この高原で繁殖を執り行う下りとなった。
失敗例ではあるが奄美大島の史実に刻まれた、ハブに対してマングースを放つ対抗策の再現である。
しかし捕食種養殖の大きな壁になるのが夏の季節だった。
なにせれみりゃ、ふらんの中身は『肉まん』である。
ただでさえ自身の体温で蒸せてしまう上に夏の日差しがより一層彼らの動きを鈍らせる。
更に夏季は日照時間が長い為、通常種が時間に余裕を持って狩りが行えるので
れみりゃやふらんが起き始めた頃には穴倉の奥に潜って手が付けられない事も多々あり、
この季節は捕食種にとって最も辛い季節になる訳であった。
以上の点を考慮した結果、煙草を咥えた男がやってみせた様に通常種のゆっくりを誘き寄せ、
捕食種のコロニーに餌として撒く作業が日中に人間の手で行われる事になった。
成果は見て取れる通り、れみりゃやふらんの数が増え続けているのがはっきりと伺えるので順調と言えるだろう。
「小さいのが増えてるなぁ、んー、額の茎持ちもかなりいる。この分なら秋までには均衡が崩せそうだな」
下界の様子をまじまじと見つめていた男が呟いた。
彼がこの計画の実行者として一貫して守ったルールはたった一つ、ゆっくりに決して手を出さないこと。
今更言うまでもないが基本的にゆっくりは無能だ、痛みを伴わなければ危険を意識出来ない。
その無防備な面を利用し、お飾りを奪うだけに留めれば彼らはただ只管と後を追従するだけの饅頭と化す。
周りで見ているゆっくりも自分だけは大丈夫だと危機意識が極めて低いため、眼の前で無残にゆっくりを殺害しない限り、
お飾りを奪われたゆっくりできないゆっくりを見て笑っているばかりだ、そんなゆっくりもひっくるめてお飾りを回収すれば、
100匹ほどならば1時間も掛からず纏め上げるのは造作も無い。
男は吸い終わった煙草を携帯用灰皿に押し込むと、元来た道を引き返していく、そこで。
「ゆんやぁああぁっ、まっでよぉおおっ!!でいぶのおりぼんざん、どこやっちゃったのぉおおっ!?」
遅れてやってきたでいぶと遭遇した、茄子型に括れた腹部から見るに運動不足が原因で置いてかれたのだろう。
足元でギャーギャーと喚き散らしながら滝の如く涙を流して跳ね回るでいぶ、男はそんなでいぶに一言告げる。
「お前のリボンならあそこにあるぞ」
指差した先は無論吊り橋の、群れの皆が一斉にダイブしていった橋の中央部。
それを聞いたでいぶはニッコリと微笑んで会釈した。
「ゆっ!?おにーさん、ありがとう!!でいぶ、おりぼんさんをゆっくりしないでとりかえすよ!!」
「あぁ、頑張れよ」
リボンを奪い去った張本人に感謝の意を伝えたでいぶ、男は離れた所で後ろを振り返って様子を伺っていると、
やっぱりというか、案の定というか、でいぶは吊り橋から呆気なく飛び降りた。
「でいぶはじゆうのつばさをてにいれたみたいぃぃぃぃぃっ――」
断末魔が途切れたのを確認して男は笑う。あぁ、やっぱり馬鹿だなぁ、とでも言いたそうな蔑視を含んだ失笑だ。
帰り際、男は別の方角から同じく100匹ほどのゆっくりを引き連れた同僚と鉢合わせた。
終わったら飲みに行こうぜ、と手でジョッキを飲む真似をする同僚に対して男は苦笑いしながら見送った。
待ち遠しい恵みの秋が通常種への逆襲の季節へと豹変し、捕食種による大反攻作戦が展開されるのはもう間もなくの事だ――。
【おわり】