『卑屈れいむのゆん生』 まりむあき
ゆっくりと呼ばれる不思議生物がこの世に現れて早十年。
当初の騒動はとうに収まり、逆にあの頃が懐かしくもある。
いきなり出現したそれらは生態の分からぬうちはそれこそ静観していたものの、
次第に世界を覆い尽くしてしまうのではないかとの不安に駆られた人々により、早々に殲滅案までだされたほどに至った。
プロローグという名の話中の世界観説明です。
必死に生きてる野良ゆっくりを飼えば意外と良い飼いゆっくりになるんじゃない?
的なレスがあって、そこからインスパイアされてます。
しかし、その案は不可能であることがすぐに分かった。
いくら一地域を無ゆっくり地帯としても、いつの間にか湧いて出てきたからだ。
根絶が無理と分かれば、その生態への研究が大きく進むのは当然の方向であった。
そして現在、ゆっくりの住む地域の割合は、山林と住居内に1%、工場に99%となっている。
本当にゆっくりできているゆっくりは全ゆっくりの中の1%のさらに一部に過ぎない。
残りは全てエネルギー革命の為の原動力になってしまったからだ。
目につくゆっくりは全て回収され、砂糖水の精製に用いられるようになった。
つまり街中にいる野生ゆっくりや野良ゆっくりはまずゆっくりすることができない。
そのゆっくりできない事実に最初に気が付いたのはどのゆっくりだっただろうか。
むしろその事実を種全体で認識できたのはれいむ種だけであったということのほうが重要だ。
自分や他のゆっくり、また時には人間さえもをゆっくりさせたがるゆっくりであるれいむ種。
この種はゆっくりできるもの、ゆっくりできないものへの認知は早い。
頭が回るゆっくりではないものの、その認識の早さが生きる力となっていた。
野良のゆっくりは発見されるとすぐに回収される今、人間は闘ったり、威嚇すべき相手でなく、
身を隠しなるべく見つからないようにするべきと種全体で理解できているのは唯一れいむ種だけであり、
結果密かに街中で生きているゆっくりもまたれいむ種だけである。
しかしそのれいむ種も別にゆっくりできるようになったわけではない。
街中で生きる以上、人間との接触は不可避であり、常に気を配り続ける必要がある。
そう、ゆっくりするための行動でゆっくりできなくなったれいむ種がそこにはいた。
【つづく】
挿絵:まりむあき