どすまりさは悩んでいる。もちろんじゆんの問題じゃない、群れのことで悩んでいる。
このどすが管理している群れはとても平和に見える、人間が見ても驚いてしまうほどの清潔さ、精神レベル、整備された道、しかしこの群れにはどこか東京のような、都会独特の静けさがあった。

この群れはほかの群れとは違う独特なルールで成り立っている。
通常の群れは、すっきり禁止や、間引きなど、きついルールに縛られるのだが、この群れは、どすが公共事業などを大量に行い、ゆっくりする時間を間接的に奪ってすっきりや、ゆっくりすることをあまりできないようにしているのである。
さらに、採れたごはんさんの一部を税金として納めさせてさらにゆっくりさせないようにしている。
だがもちろん、公共事業を無料でやってくれるようなゆっくりだけではない。群れのために働くのが嫌な連中には、ごはんさんを多く納めるか、働かない代わりに公共サービスを一切受けてはいけない、という制限をかけるのだ。
このように、どすは群れの士気を保ったまま、ゆっくりにとってきつい制限を彼らが分からないようにかけていた。
群れのゆっくりたちは公共事業や狩り、農業などに勤しみ、その笑顔は満ち足りたものに見えたが、彼らには何か大切なものが欠けていた。
どすまりさは悩んでいた。この群れに足りないものを探していた。強行的に間引きをしてまで作ったこの群れ、そこまで苦労して作った群れを崩壊させたくはなかったのだ。

しかし、どすの苦労の甲斐もなく、この群れは確実に、崩壊への一途をたどっていた。
まず最初にむれのゆっくりが少なくなっていった。
どすがすっきりを制限した際に、その後の群れの頭数が2世代目に、少なくなった場合を考えていなかったため、ゆん口がかなり減少した。
悲劇はそれだけではなかった。この2世代目のゆっくりたちは、親が多忙で、本来親から受け継がれる知識や技能、道徳精神までもが、明らかに欠如していた。それだけならげすの群れとして群れは保たれるだろう。
しかし不幸に不幸が重なる。 このゆっくりたちは自分たちが居たせいで親がゆっくりできなかったと思っている。
つまり、彼らの餡子脳は、子供を育てるのはゆっくりできないと思っている。
さらに、あろうことか彼らは周りと接するのをやめ、家に閉じこもるようになった。 恐らく、もともと欠如している道徳精神が他ゆんをゆっくりできないものとして見せているのかもしれない。
それからの、群れの崩壊は早かった。家に篭っている彼らは食事が取れない。ほとんどの個体が餓死していった。
空腹に耐えた個体もその年の猛烈な寒さに凍え死んだ。
最後は、どすしか残らなかった。
しかし、そのどすも寒さやゆかびにより、いまや風前の灯だった。
死を前にして、どすは自分に問いかける。一体何が悪かったのか、あの政策は間違いだったのか、自分に問いかけても答えはない、叫んでも答えはない、どすまりさの前にはただ、雪と風があるだけで、答えはなかった・・・

まりさがした政策は、間違ってはいなかった。 しかし群れはあっという間に崩壊した。なぜそうなったのか、どうすればよかったのか。
ゆっくりはゆっくりなのだ、ゆっくりは名の通り、ゆっくりするものなのだ。ゆっくりしないと生きていけないものなのだ。そのゆっくりが、ゆっくりできないと、将来的には駄目になる。
この話の教訓は、
ゆっくりはゆっくりなのだ。彼らが生きていくにはゆっくりが必要なのだ。そうでないと最後は駄目になる。

【おわり】

========あとがき============
自称 今までで最傑作


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