目の前の光景を見て俺は文字通り脱力して座り込む。
 こんな、こんな、こんな毎日定期バスが通っていないど田舎に。そんな土地屋敷を買う為に俺の両親の保険金が使われたのか。こんな家に。確かに築は浅いかもしれない。素人の俺が見たって新しいと判る。二世帯だから家自体は大きいし庭も広い。

 でも……  この村に定期的に来るのは週二日二往復の県営バス。市営バスでも村営バスでもないのは俗に言う 限界集落。居住者がいる家屋は14軒、総住人34人、村員総住人平均年齢は軽く60歳を越す。買い物が出来る町に出るまで車で1時間半。冬は雪のせいで通行止めになる事あり。勿論バスはマイクロバス。
 そして家自体は綺麗でも庭というのか敷地というのか、そこはススキが茂っている。ススキが茂っているのは土地が枯れている証拠。すなわち俺が管理しなければいけない土地は枯れているという事。そしてため息が出るほど広いという事。畑でも田んぼでもない空き地だとちょっとだけ夢見たら結果はこんなもの。    そして……  脱力する最大の理由は俺の両親の保険金を使って、妻という立場だった女がこの物件を俺には内緒で、俺から言わせれば『間男』という立場のちんけな詐欺師に騙されて相場の倍で購入した事。
 だから俺は座り込んでそのままけらけらと笑い出した。



 座敷に座った俺は村長と言うのか顔役さんの奥さんの入れてくれたお茶を飲み深い深いため息をつく。 何せ売りに出された二世帯住宅(なんちゃって二世帯住宅らしい)に村外所か県外、それも都会の若夫婦がやってくる。と村中で興味本位……楽しみに待っていたら見学にきた若夫婦ではない見たこともない男が家の前で馬鹿みたいに泣きながら笑っている。のは放っておける状況ではないらしい。
 一応、俺が危険だと思わなかったのか? と尋ねたら 「この歳で今更危険な事はない」とケラケラと笑われてしまった。さすが年の功。
 なので家に上げて貰った上にお茶まで入れて貰った俺は自分の愚痴こぼし…… 娯楽が少ないであろうこの村に話題を提供する事にした。
 大学を出て初めて働いた会社で嫁に出会った事。かなり派手で遊んでいそうな嫁にとって俺みたいのは赤子の手をひねるほど簡単に落とせるらしく出会って3ヶ月で電撃結婚。
 が、専業主婦になったはずの嫁は全く家事をせず自分が行っていた事。
 なんか違うような気がする、と思っていた頃両親が巻き込まれ事故で他界。明らかな巻き込まれだったので生命保険と慰謝料で多額の金が俺に入った事。
 それでその金で元嫁が結婚しても続いていた浮気相手……その頃は不倫相手の間男に成り上がっていた男と遊びまくるわ、こんな家買うわ。
 浪費に気がついてあわてて調べたら両親の保険金の半額は使い込まれ俺に高額の保険がかけられていた事。疑われないように元嫁本人にも同じ金額の保険がかけられていた事。両方とも掛け金一括払いがしてあって、まぁ……  そして不倫の証拠をつかんで離婚しようと思って探偵雇って尾行させていたら、俺の親と全く同じ巻き込まれ事故で間男共々死亡。
 保険金受取人が俺だったのでそのまま貰って、その遺品整理の時にここの登記簿見つけてやってきて浪費を知って驚きのあまり笑っていた事。……さすがに元嫁は若かったので慰謝料と保険金で使い込んだ金額以上が俺に入った。というのはいう必要はないので黙っておく。
   話を聞いていた奥さんの顔の輝き。向こう3年分の話題を提供したぞ。もしかしたら冥土の土産になったかもしれない。
「それでこれからどうする?」 と言う顔役さんの問いに今住んでいる処に戻っても辛いだけなので、丁度保険金も数年働生活出来る分はあるのでこちらに移住したかった。出来れば自給自足生活をしたかったが、ススキが生えているのでは無理っぽい。
 の俺の返事に
「実はススキは欲しいという人間がいる(知らなかったが茅葺き屋根に使うらしい)ので刈り取ってもらった後、根を掘り起こしたらどうだ、その間、畑仕事や買い物を手伝ってくれたら作った野菜は好きなだけやる」
 かくして俺の新しい家と仕事が見つかった。



 やっとやっとすすきがなくなった。根を掘り出すのにどれだけかかった事か。勿論、それだけにかかりっきりになった訳ではなく、ご近所の塀が壊れただの門が壊れただのの修理の手伝いにかり出された。
「なんでそこをふさいじゃうの。そこをふさいだられいむがとおれないでしょう! バカなの? しぬの?」
 こんなのどかな村で塀やら門が必要な理由はすぐに判った。ぴょんぴょん跳ねる、もしくは這いずる大きいものでバスケットボール大、小さいのはピンポン球大の良く判らないが村の人達がゆっくりと呼ぶ不可解な生物……物体がいるせいだった。
 初めて見て名前を聞いたら「ゆっくり」と教えられた。命名理由は「ゆっくりと鳴くから」。いいぞ、田舎の年寄り、simple bestなネーミングだ。でそれは生き物ではなくて物体だから気にするなと言われて意味が判らない俺の目の前で村の人は手に持った鉈で(塀を直していた時だった)真っ二つに切ってくれた。
「喋って動く饅頭がいると街に行って話して見ろ。角の家の婆さんは医者にそんなことを言ったせいで何回も100から7を引かされたぞ」
確かに。村民の平均年齢からして「ゆっくり」と呼ばれる物体の話をしたら「野菜の名前を知っているだけ言って下さい」とか「100から7を言って引いて下さい」と言われるだろう。それは耐えられない屈辱に違いない。俺にはまだぴんとこないが。
 大体、俺だって目の前で割ってみられなかったら喋って動く癖に実は饅頭。と言う物体は信じなかっただろう。 見たって信じられないが。
 で、まぁ、このゆっくりというのは草を喰ったり虫を食ったりする。これだけで済めばいいが本来雑食らしく野菜を食うわ残飯を食うわ、花壇の花を喰うわ。それじゃあなくてもうじゃうじゃ喋ってうるさいわ。害獣と言うのか害虫扱いを受けている。塀や門はこいつらが庭や家に入り込まないように作られている。ので基本的に人の腰の高さしかない。これ以上高くしていると住人が倒れていても外から見えないから。笑えない切実な理由だった。
 そんなこんなで俺もようやく自分の家の塀作りを開始する。地震があっても倒れないように。自走式饅頭が穴を掘って入り込まないように。ブロックが2つ入るように。そして土台の礎を作る為にかなり深く掘っていく。
 「何でこんなところに落とし穴さんがあるんだぜ! これは人間さんのわっなさんなんだぜ!」
 ……別に隠していないし、どうしてわざわざ穴に落ちているんだ?
「まりさは痛い痛いさんになったぜ。謝罪にあまあまさんが欲しいんだぜ」
……知らん。勝手に落ちたんだから勝手にしていろ。  俺は黙って穴を掘っていく。今日中に出来るところまで穴を掘っておきたい。
 が、なんだか知らないが後ろからぶつかってくる。遊んでいる暇はないので振り向きもせずに後ろに蹴り飛ばす。
 静かになったので掘り進める。
 またぶつかってくる。だから蹴る。 なんだか後ろから「さいっこー」とか「セイッヤー!」とか聞こえてくる。どうも俺が遊んでやっていると思っているらしい。ので、遊んでいる訳ではないとちょっと強く蹴ってみる。うん、静かになったぞ。やっぱり遊んでいると誤解していたんだな。どうなったか聞いている暇どころか振り返る暇すらない。黙々とそして粛々と。掘って掘って掘りまくる。興が乗ってきたぞ。
 これで止めようと振り返った俺の後ろには5mばかりの溝が出来ていた。都会暮らしだとこんなものだろう。
「ごべんなざい…… ゆるじてぐださい」
 あ~ そう言えば途中からぶつかってもこなかったから忘れていたけど喋る饅頭が溝の中にいたっけ。御免なさいと謝っているところを見ると仕事の邪魔をしたという自覚はあるんだな。なんか昼間見た時より黒くなっているけど夕方だからだろうか。まぁ、喋る饅頭という物体の生態なぞ興味はない。俺は夕食を作る為に家に向かう。労働の後の飯は美味いはずだ。  


「れいむはかわいそうなシングルマザーさんなんだよ。つがいのまりっさがかりにいったきりかえってこないから、じぶんでかりにきたんだよ。だからあまあまさんをちょうだい。たくさんでいいよ」
 う~ん。今日の喋る饅頭の鳴き声は長いな。でも俺は溝を掘る。喋る饅頭には興味はない。水をかけ柔らかくなった地面にスコップを突き刺す。
  「どろさんがかかったよ。れいむにしゃざいしてね。あまあまさん、たくさんでいいよ」
……俺の一体何処にあまあまさんとやらがあるように見えるんだろうか? 本当に喋る饅頭は良く判らない。判ろうとはこれっぽっちも思わないが。
「れ……れいむか?」
「まりさ、どうしたの、えんえんにゆっくりしちゃったとおもったよ」
どうも昨日溝に落ちた自走式饅頭の知り合いらしい。饅頭に知り合いという概念があるとすれば。だが。 「汚いにんっげんのわなにはっまって帰れなかっただけだぜ。今にんっげんにせいっさいして帰るぜ」
 いや、勝手に溝にはまっただけだろう。俺のせいにするのはよして貰いたい。
「さすがれいむのまりさだよ。はやくせいさいしておうちさんにかえる……」
 そりゃあそれだけふちに近づけば積み上げた泥と一緒に滑り落ちるわな。別に溝として残すつもりはないから固めちゃあいないし。
「まりさ! どこにいるの? まりさ」
 う~ん、お前の足下に埋まっていると思うぞ。それにしても返事がないが。
 新しくきたしゃべる饅頭もなんとなくそれに気がついたらしい。足元を掘り出す。多少とはいえ掘り進めているから俺が手を出す必要はないだろう。道具を使わず自力で穴が掘れる生物がよもや泥に埋まった程度でどうにかなる訳はないだろうし。
 ので俺は昨日の続きを掘り出す。穴を掘って砂利を入れて地均しをしてコンクリートを流してブロックを積み上げていく。死んだ親父が日曜大工が大好きで色々な物を作るのを見ていたり手伝っておいて良かったよな。お陰で自分で塀を作れる。こんな喋る饅頭がいるところに外の人間は早々呼べない。
「なんでまりさがえんえんにゆっくりしちゃっているの?」
 延々にゆっくり。ニートにでもなったのか? 意味が判らないの俺は振り返る。つぶれている。色も悪い。口から餡を噴いている。あれは死んでいるんだろう。あの自力駆動式饅頭達が生き物なら。
 しかし自分が埋まる程度の泥と自分と同じ大きさの自走式饅頭に乗られた位で。それも降ってきた高さは体長の倍くらいで。そんなものが上に乗っただけでつぶれて死んでしまう。
 こんなにひ弱で脆弱な物は生き物とは呼んではいけない。生への冒涜というのか、生きていると主張したかったらもう少し生きる事に前向きに真摯に努力すべきだと俺は思う。
「くそじじいのせいでれいむはつがいをなくしたシングルマザーになったよ!」
 ……お前が足元を確認しないで溝の縁にいったせいで縁が崩れて饅頭の上に泥とお前が落ちたせいで、下の饅頭がつぶれた、だ。それに今更シングルマザー宣言しなくてもさっきそう俺に名乗っただろうが。
「だかられいむにあやまってね。あまあまさんでいいよ。あと、かいゆっくりにしてくれればいいよ」
 かいゆっくり? 下位? 快? 怪? 今の時点で充分怪な存在だが?
 とりあえず俺は自律思考型饅頭を無視して穴掘りを再開する。少し考える頭があれば誰が先にあった饅頭をつぶしたのか考えつくだろう。
「あやまって! れいむにあやまって!」
 今日の饅頭は良く喋るが確かに誤ったのはお前だし、自責の念に囚われるのも良いだろう。その経験を生かし次回は同じ失敗さえしなければいい。
 俺も自分から露骨にボディタッチをして来たり、親しくなる前から今彼の愚痴をこぼして相談してくる女には警戒して絶対に引っかからないぞ。



 天気予報では午後から雨。そして今日は県営バスが午前1往復、午後1往復する貴重な日。とは言え受診と買い出しの爺様婆様優先で俺は隅の方に座る。これから1時間半同乗するんだから愛想良く…… うん、そうだよな。元嫁と間男の聞きたいよな。節理ってもんだ。
 しかし、浮気調査の探偵がビデオを回している前で事故にあったから、裁判は早いは、保険金や慰謝料もとっとと俺の手に入った。通夜にやってきた元嫁の家族が分け前を寄越せと言ったがその前に使い込んだ俺の金を返せと言ったら翌日の告別式には誰も参列しなかったのは大笑いだった。そのお陰で俺は結構早く立ち直ったんだと思う。確かに逃げ出した。でも一人で立っている。爺様や婆様と話しているとそう思う。逃げたけど立ち直った。多分。
 そう言えば昨日溝に落ちてきた喚く饅頭はひたすら喚くだけで溝から出ようとはしなかったな。シングルマザーと言っていたから子供の1……頭? 個? はいる筈なんだが帰らなくてもいいんだろうか? まぁ、多分夜のうちに帰っただろう。子供を残して外泊なんぞしなかろう。


 セメント、ブロック、砂、砂利、ブロック塀を強化させる鉄棒、フェンス、そしてやってみたかったコンポスト。生ゴミを堆肥に変える。それから腐葉土山ほど。庭を変える計画発動。
 まず庭を耕す。腐葉土を混ぜていく。コンポストは埋めて腐葉土と生ゴミを交互に入れて堆肥を作る。自家製堆肥と腐葉土を庭の土と混ぜ合わせてどうにか庭が蘇ったらまずレンゲを植える。レンゲで土壌の回復をはかり……
 その前に塀だな、塀とフェンス。それを作らないとあの喋る饅頭がやってくる。何となく溝だけでも庭に入ってこないような気がするが溝だと色々と面倒だろう。俺が一番初めにはまりそうだし。
 とりあえず必要と思われる物は全部買って借りた軽トラックの荷台に乗せる。両親が事故に遭ってから車の運転をする気にもならず持っていた車を処分したので元妻も俺が免許を持っていた事を知らなかったが実は運転が出来る。さぁ、我が家に向かうぞ。


 ちょっと家に帰るのに手間取ったが(買い物帰りの婆様達に出会ったので荷物だけ乗せてきた)雨が降る前に到着。雨に濡れても平気な物は庭に山積み+ブルーシート。駄目な物は玄関のたたきと縁側に放り込んで出発。溝の自走式饅頭の声は聞こえないところを逃げ出したんだろう。シングルマザーというところをみると子供がいるんだろうし。

【つづく】