それは、住みよい街だった。

程よく発展した市街地に
山や森などの自然が見事に調和し、
快適な生活環境を住人に提供していた。


街の中央を流れる大きな川は
豊かで穏やかな水を湛え、
その両岸は遊歩道として整備されている。

そこで人々は、ジョギングに勤しみ、
設置された運動器具で汗を流し、
橋桁のコンクリートを相手に壁打ちをしたり、など
思い思いに健康づくりを楽しんでいた。

そんな爽やかな青空の下、

ゆっくりまりさの絶叫が響き渡る。





「ゆるじてぐださい!このとおりでずがらあああああッ!」


仁王立ちする青年の足元で、
まりさはゆっくり流の土下座で
体をびったんびったんと地面に叩き付けていた。

その傍らでは、
まりさにそっくりな子ゆ達が10ゆほど、
ひとかたまりになって、
呆然と親まりさの土下座を見つめている。


「お、おとーしゃ‥」


ゆっくりはゆっくりしている
にんげんさんはちっともゆっくりしていない
だからゆっくりのほうがえらいのぜ


我が子たちには、そう教えてきた。
なのに‥
それが今やどうだ?
一体、どんな気持ちでこの姿を見ていることだろう?


(おとーしゃ! ミミズしゃんをつかまえたのじぇ!)

(ゆふん! まりしゃたちはかりのたつゆんなのじぇ!)


一家総出のピクニック。
ついさっきまで、あんなにゆっくりしていたのに‥。


いや、最早そんな事はどうでもいい。

とにかく謝らなければ。

自分の命も、子ゆ達の運命も風前の灯。
一家全滅という結末だけはどうしても避けなければ!



そう、このまりさ一家は罪を犯した。

橋桁の壁に向かって投球の練習をしていた青年の
取り損ねたボールが子ゆっくりの内の1ゆを直撃。
破裂して飛び出した死餡でそのボールを汚した‥

‥という罪を。


その子まりさには何の落ち度もない。
ただ、ゆっくりと川べりをお散歩していただけだった。
この川沿いの草むらに引っ越してきたのも、
にんげんさんとの関わりを極力さけるためだったのに‥。


なのに‥。


なのに‥!


我が子を潰された上、
謝罪までしなければならない。
何という理不尽!


しかし、悲しい事に
この親まりさは人間とゆっくりの戦力差を理解していた。
そして同時に、その理不尽を
否応なく受け入れなければならない現実も‥。

だから、親まりさは
謝罪と土下座を繰り返しているのだ。


「おねがいじまず! ばりさがわるがったでずうううううッ!」


とはいえ。

先程から一切の進展はない。

それはそうだろう。

何しろ、ゆっくりには
人間に対する交渉材料がないのだから。



許しを請うための対価。
謝罪の言葉以外の、価値ある何か。

ゆっくりが、
人間相手に差し出せる物など何もない。


(おうたをきいてね!)

(おちびちゃんをみせてあげる!)

(かいゆっくりになってもいいよ!)


並のでいぶなら、そう言うだろう。

確かに差し出している。


自分の命を、だが。



この親まりさ、流石に
今日この日まで生き抜いてきただけの事はあって、
迂闊にそんな悪手を打つような真似はしない。

悪手は打たない‥‥ が、打開策もない。

完全な膠着状態であった。


親まりさは謝罪らしきものを続けているが、
乏しい語彙を並び替えて、
同じような内容の言葉を繰り返して叫んでいるに過ぎない。

言わば、何か妙案が思いつくまでの時間稼ぎである。

土下座しつつ、額を地面に擦りつけつつ、
頭の片隅ではこの状況をどうやって切る抜けるか
餡子脳をフル回転させていた。

しかし、ないものはないのだ。

親まりさがどんなに頑張り智恵を絞ろうとも、
最初から存在しない物は見つけ出せない。

ないのだ!

ない!

ない!

ない!

ない!

ない!

どんなに時間を掛けても、ないものはない!



親まりさの精神はもはや限界。
両目はグルグルと廻り、
全身からは、脂汗なのであろう、
妙な汁をダラダラと滴らせている。

青年の方は、
仁王立ちのまま微動だにしない。

その無表情さ、無反応さが
却って不気味であり、
親まりさをより一層焦らせ、追い詰めた。


「どうか‥ おねがいでずから‥」


親まりさが極限の緊張で気絶しかけた、その時 ―


「おい」

「‥ゆ?」


幸か不幸か。


「そんなに許してほしいか?」


まりさが欲した交渉材料が、
向こうから転がり込んできたのである。


「ゆ‥‥‥?」

「許してほしいのかって聞いてんだよ」

「は、はい! ゆるしてほじいでずッ! このとおりでずうううッ!」


あまりに突然だったので
しばらく反応できなかった親まりさであったが、
目の前に蜘蛛の糸が垂れている事に気付くと
猛然とこれに食らいついた。

死中に活路を見い出し、気力も回復したのであろう。
土下座にキレと勢いが甦る。


「何でもするか?」

「はい!なんでもしますうううッ!」


いささか早計だったか ― と、思わないでもなかった。

ただ、このチャンスは
あくまでにんげんさんの気紛れだ。
気紛れ故に、いつふいになるかわからない。

それに。
どの道、選択肢は他にないのだ。
返答は早い方がいい。


「そうか、何でもする‥か」


満足げに頷く青年とは対照的に
まりさは内心、不安で堪らない。
仕方がなかったとはいえ、
「何でもする」は流石に言い過ぎたか。

冷静になればなるほど、
悪い予感が立ち込めていく‥。


「ちょっとお願いがあってね。
 いや、別にそんなに難しい事じゃないよ」


と、そんなまりさの心中を察してか、
青年は存外優しい口調で語りかけてきた。


「君らのせいでボールが汚れてさ」

「‥‥‥‥」

「すごく困ってるんだよねえ」


我が子の死を「困った」で片付けられてしまったが、
親まりさはぐっと堪える。


「その責任を取るって事で、
 しばらく僕のボール遊びに付き合ってくれないかな?」

「‥‥‥‥」


正直なところ、逆に当惑した。

どんなに苛烈な要求を突きつけられるのかと思いきや、
妥当‥‥どころか、良心的ともいえる破格の好条件だった。
拍子抜けですらある。

ついさっきまでは、
死と暴力への恐怖にあれだけ震えていたというのに‥
それが嘘のようであり、
闇雲に恐れ慄いていた自分を笑い飛ばせる程の余裕が
心の中にできた。



ボール遊びだって?
お安い御用どころか、望むところだ!
おちびたちもきっと喜ぶだろう。

ひょっとしたら、
一緒にやりたいと言い出すかもしれない。
みんなでボール遊び‥‥
最高にゆっくりしたひとときになりそうだ。

それにしても、このにんげんさん‥
もう「おちび」って訳でもないだろうに、
まだボール遊びなんかに夢中になって‥

しかも、一人で?!

可哀想に。
きっと友達がいないんだろう。
本当は寂しかったんだろう。
だから、一緒に遊んでほしいんだね?

しょうがないなぁ。

しょうがないから、まりさが友達になってあげよう。
何だったら‥‥
いっそ、そのまま飼いゆっくりになってあげてもゆぷぷぷぷ



― 的なことを考えていたが、もちろん声には出さない。
(顔にはちょっぴり出たかもしれないが)


「で、どうなんだ? やるのか? やらないのか?」

「は、はい! やらせていただきますううううううッ!」


生存ルート突入を確信した親まりさ、
気前よく今日一番の土下座を披露する。


「よし、じゃあ交渉成立だな」

「ゆっ‥!」


青年は言うが早いか、
実にあっさりとまりさから「お飾り」を奪った。

定型句である「おぼーしかえして」が
喉のすぐそこまで出掛かったが‥
損得勘定という名の理性で、どうにかその本能を抑え込む。

せっかくここまでたどり着いたのだ!
下手に逆らって無駄にしてどうする!
多少の事は目をつぶろう!


「これかい? ああ、心配しなくていい。終わったら返すよ」

「‥‥」

「それに、こうすると‥」


青年は、奪った帽子を逆さにして器代わりにすると、
その中に手際よく子ゆっくり達を放り込んでいく。


「‥ほら、特等席だ」


全ての子ゆがおぼーしの中に納まった。

普段より遥かに高い ―
当然、親まりさお得意のたかいたかーいよりも遥かに高い ―
見晴らしの良さに
子ゆ達は、やれ大空の覇者だのやれ翼を手に入れただの‥
ゆきゃゆきゃ上機嫌に騒いでいる。

たしかに特等席には違いない。
親まりさは納得するしかなかった。


釈然としないが‥
そんな思いを斟酌することなく、事態は一方的に進行していく。


「よし、じゃあ‥
 約束通り、キャッチボール開始だ」


そう宣言するや、
青年は大きく振りかぶり、投げる。

それは親まりさの目の前の地面にぶつかり


そのまま砕けた。




 ― 砕けた?




おかしい。

まりさの中の常識では、
ぼーるさんというのは地面にぶつかったら跳ねるものだ。
なのに、砕けるなんて。

何て柔らかいぼーるさんなんだろう?
それとも、にんげんさんが
うっかり投げるものを間違えたのだろうか?


それとも。

何か思い違いをしているのは ― まりさの方?


いや、そんなはずはない。

思い過ごしだ。
万事順調、問題なしのはず‥‥なんだ。



何故か、急に眩暈に似た不安に襲われたが、
それをねじ伏せるように自分に言い聞かせる。

大丈夫だ。

大丈夫だ、と。


しかし、それでも冷や汗は止まらず、
顔にこびり付いた死餡とともに頬を伝った。


「ぼやぼやすんな。次、いくぞ」


青年の次の投球は
風切り音を残してまりさの左耳を掠め‥

パァンッ! 

― と、背後から盛大な破裂音を響かせた。

これもまた、
普通のボールでは起こりえない事象だ。



やっぱり何かがおかしい!
でも、大丈夫だ。
大丈夫なはずなんだ。
きっと気のせいだ。
思い過ごしだ。
まりさの勘違いに決まってる。
振り返って確かめれば、
それがはっきりする。

あり得ない!

そんな事が起こるはずがないんだ!


「あれ」が「それ」である訳がない!!




だから、確かめる‥ 確かめてやる!


そう意気込んだ親まりさであったが、
その動きはまるで錆びた歯車のように
ギクシャクともどかしい。

本当に確かめたいのか? それとも目を逸らしたいのか?

それでも。
少しずつ向きを変え、やがて目の端に「答え」を捉える。

そこには、



ああ ―



やはり ―



橋桁のコンクリに咲いた、餡子の花。
その中心にへばりついた肌色の搾りかすが、
力尽きたようにずり落ちていく。

傍らに落ちているのは、見慣れた小さな「おぼーし」。



やはり ―



おちびちゃん ―



ガチガチと歯の根を震わせながら、
今度は青年の方に向き直り、
おそるおそる見上げると‥‥

既に3ゆ目の子ゆっくりが、
握り心地を確かめるかのように
手の平の上でもてあそばれていた。



「ボール遊び」とはそういうことか!



交わした条件の意味を、
この「キャッチボール」のルールを、
我が子2ゆを消費して、
親まりさはやっとゆっくり理解した。

己の甘さを呪った。

浅慮を、
迂闊さを、
愚案っぷりを呪わずにはいられなかった。


しかし、もう遅い。


青年が投球の姿勢に入る。


この先の運命を思い、
まりさはただただ絶句した。



(後編に続く)